top of page

​事業内容

    ​主事業     

​東日本大震災 ボランティアコーディネート

1

集合写真.jpg
ボランティアのメンバーと盛さん(隊長→撮影者になってくださっています))
8eab4c7f8d3202954a0c3632ca7d1d17.webp

北の恋人岬
(宮城県南三陸町)

各地域イベントに必要なボランティア確保のご相談を承っております。詳細は事務局までお問い合わせください。

​東日本大震災 スタディプログラム

2

S__43917321.jpg

南三陸町
気仙沼市小泉地区 

気仙沼市震災遺構旧向洋高校

気仙沼市街

S__43925528.jpg

石巻市語り部ガイド 

​旧大川小学校語り部ガイド

宮城県 語り部ガイド
岩手県 語り部ガイド
​福島県 語り部ガイド

​東日本大震災 復興観光ガイド

宮城県 復興観光ガイド
岩手県 復興観光ガイド
​福島県 復興観光ガイド

​東日本大震災 備災合宿プログラム

    ​連携協働事業     

​地域づくり部門

スポアートサポートみやぎ代表 (1980-2011)

1

​全国地域づくりリーダー養成塾塾生 (2004-2005)

​北海道東北ブロック修了生幹事会幹事長 (2005-現在)

東日本大震災ネットワーク宮城代表 (2011-2012)

​ひらがいハッピードリームパークボランティア村村長 (2011-2012)

​小泉自然楽校校長 (2012-2016)

​本吉復興観光エコツーリズム推進協議会事務局長 (2012-2016)

KOTネットワーク本吉CEO (2012-2018)

各地域づくりのご相談を承っております。お気軽に事務局までお問い合わせください。

ミックスバレーボール部門

連携協働:東北混合バレーボール協会 

 東日本大震災発災以前から取り組んできた事業の一つ。
 男女が分け隔てなく共存できる社会創造の一辺として混合バレーボールの普及に励んできました。2011年に発足した東北混合バレーボール協会様と連携協働のもと、ミックスバレーボール大会を開催し、今年10月には南三陸町で初めての全国大会開催が実現しました。

IMG_4258.jpg

連携協働:キズナカップ実行委員会 

 東日本大震災後、避難所や遺体安置所と化し、本来の機能を失った体育館で当たり前にバレーボールができることの有難みを実感しました。そんな中、笑顔と元気を分かち合う大会として誕生した「キズナカップ」。
 全国大会に来る東北福祉が医学バレーボール選手たちは、大会の日でも早朝に被災した沿岸部の清掃など、ボランティア活動を行っています。勝ち負けだけでなく、これはバレーボールができることへの感謝を忘れないことのお返しなのです。当センター長も齢62ながら監督兼選手として学生と共に汗を流しています・

IMG_4257.jpg

●過去の大会●

2015年10月 第7回キズナカップ
2017年6月  第11回キズナカップ
    7月  ミックスバレーボール南三陸大会

      12月 全国ミックスバレーボール交流大会in本吉
​2018年6月  第13回キズナカップ

 ミックスバレーボール大会に参加したいチームのご相談、お申込までの流れをご案内しております。
​ お気軽に事務局までお問い合わせください

子どもの居場所づくり部門

 現代の子どもには「三間」が少なくなっていると言われます。
   当センターでは東日本大震災発災前から、さまざまな理由で遊びや学びの制限を受けている子がのびのびと楽しくたくましく成長できるよう、KOTネットワーク本吉を立ちあげて「小泉自然楽校」やその他スポーツ教育の実施など、子どもの居場所づくりにも精力を傾けてきました。

能登半島炊き出し

能登半島炊き出し絆チーム

東日本大震災時、津波で大きな被害を受けた三陸へ多くの関西の有志ボランティアが足を運んでくださいました。

その時から交流のある関西の学生たちと、当センターのセンター長および学生広報部が能登半島地震で被害を受けた石川県内の複数の地域で炊き出しを実施しました。

ただ炊き出しをするだけでなく、被災地同士のつながりをつくるという目的のもと、輪島市、珠洲市、七尾市へ。

​大阪名物の肉吸いやお好み焼き、南三陸の塩蔵わかめなどを振る舞いました。

子どもたちとも交流させていただき、笑顔の輪を広げることができたと思います。


しかし、能登の復興状況はいまだにスタートラインに立っていません。

メディアの報道が減っている一方で、撤去されていない瓦礫や隆起した地面、消失した建物が多く放置されています。


この度の能登半島地震で亡くなられた方々に対し、謹んでお悔やみを申し上げますと共に、被災された皆様に対し、心よりお見舞い申し上げます。

​今後も、当センターは能登半島の被災地とのつながりを大切にし、復興に向けて伴走してまいる所存でございます。


 

bottom of page